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梅田の阪急三番街にある地蔵横丁。
線香の香り漂う横丁である。
その突き当りにある「北向地蔵尊」。
昔から、近くを通るたびに「どうしてこんなところにお地蔵さんが?」と思っていた。
近くに掲げられていた由来のプレートによると、明治二十六年(1893年)に付近の畑より自然石でできた地蔵尊が掘り出され、当時の地主仲谷弥三兵衛が世話人となって、お堂を北向きに建立、そのお地蔵さまを祭祀(さいし)したのだとか。
そして梅田三番街が建設されるときに、現在の場所に改めて北向きにお堂を建立、本尊を遷座したということである。
梅田の埋め立ての時(※)など、現在の場所に落ち着く前は、場所を移した(千里山?)ようである。
移した後、事故が起きたりとかいろいろあったという話もちらほらとあった。
そして、梅田三番街でお店をしていた本田忠雄という人が、当時の阪急の社長に働きかけ、現在の場所にきたのだとか。
(※ 梅田の名前の由来は「埋め田」からだという話がある)
どこまでは真実かはよくわからない。
あと、wikiや他のサイト記事などを読んでいると、多くが明治二十四年(1891年)に畑から掘り出されたと書いてあった。由来のプレートの明治二十六年(1893年)との2年のずれはどこから生じたのだろうか。
この北向地蔵が有名なのは、単に人通りが多いところにあるからだけではない。
お地蔵さんが北を向いているのが全国的にも珍しいのだそうだ。
なぜ北を向いているのかもよくわからないが、ある記事では当時あった梅田墓地を見守っているという話が書かれていた。
あと百度石があったが、お百度参りは本堂と百度石(ここまでという目印)を往復するものである。
本堂側に百度石があることもあるので、これは本堂側のものかなと思ったが、なぜかもう一つが見つからない。
じつは別に本堂があって、ここまでを往復するのか?とも思ったが、「別の本堂」というのもよくわからない。
都市のど真ん中にあり、有名でありながら、謎が多い北向地蔵。
あと3年後(平成三十年)の10月が遷座50周年の節目である。
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